カフカに会いたいということ

こんばんは、山田です。

更新すっかりご無沙汰です。
にしすがも創造舎に通いだして、まもなくひと月たちます。
早いものですね・・もうはやすっかり、新緑の季節です。

 

なんで今カフカをやりたいのかという話をしたい、と思っていましたが随分時間が経ってしまいました。

 

実はカフカを演劇でやりたかったのは、ttuを旗揚げするずっと以前、高校生の頃からでした。
まあ「変身」を読んでザムザは自分だと思い込んでしまうひとというのは人類の十何割かはいると思うんですが、
モロにそのクチであります。

 

入口はそんなミーハー心からだったのですが、いざ本腰入れてやらんとすと決めたのは、最近のことです。

 

昨年、街頭で目にした一枚のポスターがきっかけでした。
そこには、リクルートスーツ姿のスポーツ刈り青年がバストショットでガッツポーズをキメながら、「変化は進化だ」というキャッチコピーのもと、晴れやかな微笑をたたえている姿がありました。
「変化」と「進化」というワードに引っかかってネット検索をかけてみたら、2001年9月小泉首相の所信表明演説の中に、ダーウィンの「進化論」を用いたこんな一文にいきつきました。

 

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ 」

 

なるほどその通りでしょう。
環境に適応できないものは淘汰されていく。これは事実です。
(因みに引用文は進化論を意訳した著作から抜粋されたようで実際にダーウィンそのひとが言ったとおりではないようです。)

 

カフカの中・長編主人公は、ほとんど全員死にます。
「変化に対応できない生き物」の話が生き残るというのはなんとも皮肉な話です。
どうも古典の世界では変化になんでも対応できる人物よりも、変化に対応できないひとたちがぐずぐずやっているような話の方がよっぽど多いです。
そんな簡単に人間はいろんなこと割り切ってバージョンアップなんてできないし、だからこそ、おもろいのだし、愛おしいのだと思います。

 

カフカは、一貫して「居場所」のないひとやものを愚直に描き続けたひとです。
それも、ユーモアたっぷりに。

 

最近、わたしは、自分のこれからの人生を考えるとき、「居場所」をつくっていく人間になりたいのだなと漠然と感じています。
それは物理的な空間をつくることかもしれないし、演劇の上演という時間を通じて感じてもらうことなのかもしれないし、あるいは、わたしが生きてることそのものが、こんなやつでも楽しそうに生きてんじゃんという証明がしたいのかもしれません。

 

まあ大体そんな感じで「居場所」をつくりたい山田と「居場所」のないひとものを描き続けたカフカは時空を超えて出会うべくしてであったのだと、感じています。勝手に。

 

人間としても、作品にしても、理想は、太陽の塔みたいな、全存在を「オッケーよ!」って言えちゃうような壮大な無駄になることです。いつになるのかなあ。
今回は自分にとって、その第一歩を踏み出すための公演です。
そう言う意味では既に記念碑的な(笑)作品とも言えます。

 

今回は、お客さんが舞台を観ながら、今生きているひとたちや死んでしまった人たちのことをぼんやり考えつつカフカの世界に浸れるような場になれば幸いです。
それでは座組一同、劇場でお会いできるのを、楽しみにしています!

 

山田 真実

 

 

ナビゲーション

  • Twitter

  • Facebook