• 会議体 特設ページ

反復すること、往復すること

こんばんは、演出の山田です。

 

突然ですが、今日は反復することと往復することについて話してみようと思います。
大それた話じゃありませんし、別に、宣戦布告でもありませんw

 

★反復
同じことを繰り返すこと。
★往復
いってかえること。

 

A地点とB地点の行き来が時間/距離的に短いものを反復、長いものを往復と呼べるのでしょうか。
好きな反復運動を並べてみました。()の見る・やるはわたしの趣向です。

 

例えば、けん玉。(見る・やる)
例えば、ドリブル。(見る)
例えば、メトロノーム。(見る)
例えば、反復横とび。(見る・やる)
例えば、獅子脅し。(見る)
例えば、ブランコ。(見る・やる)
例えば、なんか触ると熱いやつでドンキとかで売ってる、透明の筒の中をぶよぶよの丸が上下するやつ。(見る)
例えば、砂時計。(見る)
例えば、お気に入りの曲をワンリピート。(やる)

 

倣って、すきな往復運動。

 

例えば、文通。(やる?)
例えば、家からアトリエまでの道のりを歩くこと。(やる?)

 

?なのは、見ることとやることが殆ど同義だからです。
他人の往復運動を眺めることはできない気がします。知ることはあっても、参加はできないというか。
上の例に関しても、ストーカーか神様にならないと無理ですよね。
それにしても往復運動の例ってびっくりするほどあんまり思い浮かばないものですね。

 

どこへ向かうんだこの話はって感じですが、なんと、作品のことと絡んできます(笑)
「おやすみカフカ」のテキストをつくることは、わたしにとって文字どおり往復運動でした。
つまり、こんな感じです。

 

日記(一人称)⇔手紙(二人称)⇔作品(三人称)

 

普通は、左から右へ移行するごとに、私的から公的なイメージへ移り変わっていくものです。
彼の場合、そこに明確な境界線はなく、日記の中にまるまる作品を描いていたり、手紙の全文を書いてみたり、
小さい頃の思い出を自伝風にのせてみたりと、混沌としている印象があります。
感動したがりではまったくありませんが、事実まるっと作品なのです。

 

この日記は熱愛した人妻ミレナの手へ渡ることになるのですが、いずれそうなることを知ってか知らずか、読み物として問題なく成立するものです。私小説の一ジャンルといったところでしょうか。
彼自身が作家の書簡集や日記を精読していたということがあったようですから、強ち野心のひとといってもよいかもしれません。わたしには、野心の塊のように見えます。

 

今回は、このカテゴライズを全部外して、白い紙の上に落とされたインク群をトラックとして、DJになり編集しなおすという作業でした。カフカREMIXです。
昨年の春にやった太宰の「女/生/徒」よりも主軸の作品を銘打っていない分自由度が高く、作家に対して愛あるがゆえの、悩ましい作業となりました。
最終的には、彼がある作品を書いた一夜をモデルに、小作品10本弱と日記や断片を織り交ぜた、テキスト「おやすみカフカ」ができあがりました。勿論稽古毎に変貌を日々遂げてはおりますが。

 

作品を並べたオムニバスでなく、事実をそれらしく扱う伝記でもなく、カフカというイメージの川の中を泳ぐような、藤子F不二雄先生流に倣えば「S(すこし)F(ふしぎ)」なめくるめく世界を展開します。

 

テキストを俳優に渡して喉を通って空間に帰ってきたものに対してあれこれ試行錯誤しているこのさまはそれこそ往復運動ですね。
お客様をアテンドするツアーコンダクターになるべく、体力をつけます。
ようこそと言ってお迎えできるように。

 

さあいよいよまとまりませんが、次回はなぜカフカさんをチョイスしたのかお話できればと思います。
今夜はアカイツキの出る晩ですよ。別役さんの「象」が読みたくなります。

 

それでは、また。

 

山田

 

 

ナビゲーション

  • Twitter

  • Facebook